himawari/Mr.Children【歌詞の意味・解釈と感想】

『himawari』はMr.Childrenの、映画『君の膵臓を食べたい』の主題歌にもなっている37枚目のシングルです。

 

 

僕は『君の膵臓を食べたい』は見てないので、映画についてはわかりませんが

桜井さんは

「この物語の中にある苦しい程の美しさ、強さ、優しさ、残酷さ それらを包み込みながらも 更に拡がりを持って押し出していける、
そんな音を探して探して、やっとのこと辿り着いた曲は、 自分の想像を超え、また新しい力を与えてくれるものでした。
この映画に、物語に感謝です。」

とコメントしている通り、

桜井さん自身も映画のおかげで予想以上の曲ができたと感じているんでしょうね。

 

 

 

この曲、ミスチルには珍しい〝〟を連想させる別れをテーマとしていて、ロックバラードな曲調により苦悩や葛藤が見事に描かれております。

 

 

曲名を、

太陽の光を浴びて元気で明るく育つイメージの

『向日葵』

という字ではなく

himawari

としたのも、

暗がりでも力強く咲くひまわりを表現したかったんだと思います。

 

 

因みに、シングルとして発売された音源より、アルバム『重量と呼吸』に収録されている音源の方がよりエモーショナルで僕は好きです。(ドラムとギターがより強調されてるので)

 

というわけで僕なりの【歌詞解釈と感想】を綴らせて頂きます。

 

 

死を前にする君に僕は‥

優しさの死に化粧で
笑ってるように見せてる
君の覚悟が分かりすぎるから
僕はそっと手を振るだけ

 

『優しさの死に化粧』

いきなりきましたね

神フレーズ。

 

死に化粧とは、死出の旅に出ようとする故人の最後の身だしなみです。

 

そうです

君は〝死〟を前にしてるにもかかわらず優しさで笑っているように取り繕ってるんです。

 

想像してみてください

泣きついてくるならまだしも、自分の中で覚悟を決めて尚、笑顔を見せようとする彼女にかける言葉などありましょうか‥

だから

『僕はそっと手を振るだけ』

となるんでしょうね‥

 

 

「ありがとう」も「さよなら」も僕らにはもういらない
「全部嘘だよ」そう言って笑う君を
まだ期待してるから

 

「ありがとう」や「さよなら」

を言ってしまうと本当の事みたいじゃないか!

という

信じたくない気持ちや、どうか夢であってほしいという願いが込められてますよね。。

 

 

 

いつも
透き通るほど真っ直ぐに
明日へ漕ぎだす君がいる
眩しくて 綺麗で 苦しくなる
暗がりで咲いてるひまわり
嵐が去ったあとの陽だまり
そんな君に僕は恋してた

 

そんな余命間近でも、真っ直ぐ生きている君を2通りで表現しています。

 

『暗がりで咲いてるひまわり』

それは、太陽に向かって真っ直ぐ伸びる向日葵の様にそんな状況であっても一日一日、真っ直ぐ明日に向かって生きてる君を例えたんでしょう。

 

 

『嵐が去ったあとの陽だまり』

陽だまりの様に優しくやわらかい笑顔の君。

それは余命を告げられて、一度は荒れてしまったけど運命を受け入れた覚悟の表れかもしれませんね。

 

 

そして

『そんな君に僕は恋してた

この部分が過去形になっているのは、彼女はもうこの世には居てないという事なのでしょう。

 

 

想い出の角砂糖を
涙が溶かしちゃわぬように
僕の命と共に尽きるように
ちょっとずつ舐めて生きるから

 

『想い出の角砂糖』=彼女との想い出

泣いて一気に忘れてしまう(溶かす)んじゃなくて

ある意味、感情的にならずに僕の命の時間に合わせてゆっくり舐めて噛み締めて生きるからねという意味で、

時と共に忘れていってしまうぐらいなら、辛い想い出でも死ぬまで持っていきたい(君を忘れたくない)

という想いなのでしょうか。

 

切ない‥

 

 

だけど
何故だろう 怖いもの見たさで
愛に彷徨う僕もいる
君のいない世界って
どんな色をしてたろう?
違う誰かの肌触り
格好つけたり はにかんだり
そんな僕が果たしているんだろうか?

 

『君のいない世界って どんな色してたろう?』

って事は

君と出会う前の、君がいない世界が今となっては思い出せないし想像できない。

 

君と出会う前のように、この先に他の女性と出会って恋愛している僕がいるのだろうか?

 

怖いもの見たさで女性と接しようとするが、今は想像もできない‥

 

って事でしょうか。。

 

 

諦めること
妥協すること
誰かにあわせて生きること
考えてる風でいて
実はそんなに深く考えていやしないこと
思いを飲み込む美学と
自分を言いくるめて
実際は面倒臭いことから逃げるようにして
邪(よこしま)にただ生きている

 

『邪(よこしま)にただ生きてる』

この少し自虐的な表現は、真っ直ぐに生きている君と自分との対比によって思う事だと思います。

「それに比べて僕は‥」

という想いでしょうか。

 

因みに個人的には

最初このCメロの部分、違和感ありました。

普段2、3行の文を1言、2言でスマートにかつ深く表現する桜井さんらしくないなと。

でもあえて端的な文にせずに、彼の不器用な心の声を表現したかったんだと思います。

さすが桜井さん。

と僕は勝手に思いました。

 

 

そしてこの後の間奏の激しいステップ。

まるで彼の苦悩や葛藤を代弁しているかの様です。

桜井カズダンス最高(笑)

 

 

だから
透き通るほど真っ直ぐに
明日へ漕ぎだす君をみて
眩しくて 綺麗で 苦しくなる
暗がりで咲いてるひまわり
嵐が去ったあとの陽だまり
そんな君に僕は恋してた
そんな君を僕は ずっと

 

そう

そんな僕だから真っ直ぐな君を見ていると

『眩しくて 綺麗で 苦しくなる』んですね。

 

そして

『そんな君を僕は  ずっと』

 

この『ずっと‥』で終わる所いいですよね。

あえて余韻を残して、この先は聴者に委ねる事によって感情の深みが出ますよね。

もう1つは、

もうこの世には居ない、心の中の永遠の人(ずっと)

という表現にもつながる気がします。

 

 

まとめ

 

〝死〟という絶望に向き合っても尚、真っ直ぐ明日に向かって生きる君。

その眩しさ、綺麗さを暗がりで咲くひまわりと例えられています。

 

この曲がもし、スローバラードで表現されてるなら、こんなにも心に響かなかったと思います。

 

桜井さんが言うように、美しさ、強さ、優しさ、残酷さが全てつまった名曲ですね。

 

 

以上が僕なりの『himawari』の【歌詞の意味・解釈と感想】でした。

 

ありがとうございました。